大掃除 どのようにするのが良いか
今回の掃除
今回は、本やブログに書いてある方法を参考にするのではなく、自分でぱっと思った方法で片付けようと思う。
いろいろな本を読んで最善なやり方を見つけたいが、とりあえず今は片づけることを優先する。
私と掃除
私は、掃除をほとんどしない。
部屋がきれいだからではない。
なまけものだからだ。
ただ、探し物が増えたり、足の踏み場がなくなったりするようになると、さすがに掃除しようと思う。
だから、私の掃除は、いつも大掃除だ。
スケジュール
大掃除であるため、一日で到底終わるものではない。
今回も下記のように、数日に分けて行う
STEP1.明らかなゴミと取っておく可能性のあるものに分別~掃除
STEP2.取っておく服の個数と方法を決める
STEP3.服を分別
STEP4.取っておく本の判別と方法を決める
STEP5.本の分別
STEP6.その他分別
私の部屋は、主にゴミと服と本によって構成されているので上記のようになった。
理想の状態
今回は難しいと思うが、究極の理想は、掃除の結果、
1.ずっと掃除をしなくても良い状態にすること
2.探し物をしなくても良い状態にすること
である。
そのための、第一歩として、STEP2で所持する服の個数を決めることにした。
新しいものを買ったら、どれかを処分するという、もうやってる人もあまたいるであろう方式だ。
また、本を見つける時間を早くしたいので、今回はエクセルになると思うが、STEP4で検索しやすいようにまとめる予定だ
今後の方針
今回は取り合えず、応急処置的な面が色濃く出るが、今後、理想の状態へと近づけていく予定だ。
そのために、やろうとしていることは以下の項目
・掃除の仕方等が書いてある本やブログを読んでまとめること
・全てのものの適当な置き場と個数を決めること
・全てのものを検索できるようにすること
・ルンバを導入すること
今のところ以上であるが、本を読んで気が変わるかもしれないし、付け足されるかもしれない。
とりあえず、理想の部屋への一歩を踏み出した。
一気にやろうとすると大変なので、なまけものらしくゆっくりとやっていきたい
「やるはずだった」を繰り返さないために
―『最後までやりきる力』を読んで―
決意と行動は別物である。
振り返ってみると、「やろう!」と思ったことを、結局行動に移せなかった例は、数えきれないほどある。
その度に、嫌な気持ちになり、こう決意する。
「次こそはやろう」と…
されど行動は変わらず、決意だけ上書きされ続けた結果、私は、卒業に必要な単位のレポートを期限までに終えられないという、目も当てられない失敗をした。
幸い挽回する方法はあったものの、 その時の焦りと自己嫌悪が、この本を手に取らせた。
意志に頼らずにやりきる。
この本には、決意からそれを行動に移すためのノウハウが書かれている。
やる気だけで取り組むのではなく、実行する環境をつくるといものだ。
それなら考えたことがあると思う人もいるかもしれない。
実際、私もそう思った。
「これを終えたら焼肉に行こう」とか、
「家だと誘惑に負けるからカフェで勉強しよう」とか…
それで上手くできている人は、それでいいのかもしれない。
(私には不十分だった。)
この本では、もっと徹底してシステム化することが書かれている。
そのシステムは、具体的には、大きく2つに分けられると思う。
決意を繰り返し思い出すための仕組みと、嫌でも行動させるための仕組みである。
前者は、自分の純粋な動機を思い出させるためのものだ。
決意を書いたホワイトボードを壁に掛けておくとか、
スマホの待ち受けにするとか…
書初めもこの類にはいるだろう。
一方、後者は、行動を阻害する要因を取り除くためのものだ。
朝起きれないのであれば、他の人が眠る部屋にも目覚ましをセットておくとか、
お金をあらかじめ家族や友人に預けて、達成されたら返してもらうとか...
純粋な動機とは別に、より強力な動機をつくること、と言い換えられるかもしれない。
ただし、阻害するものは、やり遂げたい事や人によって異なるので、その度に自分で考えることが必要だと述べられている。
やるもやらぬも自分次第。
本を読んだだけで満足してしまっては、それでおしまいである。
この仕組みを作るための仕組みはないので、最初は、どうしても意志が必要になるだろう。
それだけの力は、自分の中にあることを期待したい…
- 作者: スティーヴ・レヴィンソン,クリス・クーパー,門脇弘典
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ブログなるモノを書いてみる
ブログを書いたところで、きっと無駄になるだろう
誰にも読まれない可能性は高く、
誰かが読んでくれたとしても、
何の役に立たないかもしれない。
もしかしたら、
私にさえ、何ももたらさないかもしれない
もともと飽き性な私が始めた所で、
長くは続かないかもしれず、
この記事が最初で最後になるかもしれない。
だけど、こうやって書いている。
私は、今まで、情報を発信してこなかった。
SNSに写真は上げず、投稿もせず、
ただただ、他の人の発信するそれを眺めるだけだ。
今でもその態度は変わらず、変えるつもりもない。
それでも、こうやって書こうと思ったのは、
私自身が誰かが共有した情報に助けられてきたからだ。
海外によく行くようになり、プログラミングをするようになり、
顔も名前も知らない人から、知恵やヒントをもらってきた。
だから、こんなの書いても無駄ではないかと思いながらも、
キーボードを叩いている。
こんな出だしで始まるブログは、どこに行くのだろうか。
いつまで続くだろうか…